人を育てる
良い面をとことん伸ばす 考える力を育てる 柔軟な思考の大切さを伝える
今の日本。そしてこれからの日本
今私たちを囲む世の中の情勢は、大きく揺れ動いています。
わが国では高度経済成長期から順調に伸びて来ていた経済も、バブルの崩壊後30年間の低迷期を経て、国民から自信が奪われつつあります。
そんな社会において、未来を生きていく子どもたちはどのように夢を描いたら良いのでしょうか?
これまで当たり前であったことが一夜にして変わってしまうような激動の時代に、教育がどう立ち向かっていくのかということは、今の日本にとって最も重要な課題だと言えます。
現代の公教育の限界
では公教育はどうでしょうか?本当にこの日本を背負って立つ若者を育成できているでしょうか?
残念ながら答えはノーだと思います。
21世紀になるのに学校には、相変わらず知識偏重、丸暗記重視、「宿題によって体で覚えさせる」「生徒はさぼるから、とにかく机に向かわせるべき」というような偏った視点に基づくやり方をまだ続けている教師がみえます。
「勉強は大変で当たり前」というような生徒の意欲を挫く事を言われる人さえいます。
また成果主義を排除して悪しき平等主義を取り入れて、形だけでも勉強をすることに高い価値をつけ過ぎたため、結果ではなく「勉強している」という過程への評価が重視され過ぎることになっています。
そして、良く理解できていようがいまいが、きれいにまとめたノートを提出すれば、報酬としてAAやSを付けたりする一方で、「考える力」を持った優秀な人材が、教師の主観による内申点不足で志望校に行けないという事態が起こっています。
これは同時に勉強を「ノートをきれいに書いてまとめる事」だと思い込んでしまった生徒の将来にも、禍根を残すことになってしまっています。
本当の教育の目的とは?
教育とは一体何のためにあるのでしょうか?
それは「次に到来すべき新しい未来を創ること」にあります。
そのためには「その人物の良い面をとことん伸ばす」という方向性、
そして「考える力を育てる」「柔軟な思考の大切さを伝える」という視点から、育ち行く人材に新しい発想力や着眼点というものを身に着けさせること、
そういうことが要求されるはずです。
しかし実際の公教育においては「悪い点がない生徒を作る」「減点主義」「知識に漏れがなくオールマイティーであることが望ましい」「人と同じことができる協調性が重要」ということを偏重する側面があるように感じます。
AIが台頭してくるこれからの時代には、こういう志向の教育では通用しなくなります。人間は機械やPCではないからです。
「考える」という事こそが人間の本質であり、それこそが他と人間を分かつ最も大きな特徴なのです。
「考えるということ」の意味の大きさ
柔軟な思考は世界を劇的に変える
私たちは一民間塾に過ぎませんが、教育の本当の意味をその基礎に置く良質な教育サービスの提供を目標としています。
学習面での悩みを抱え試行錯誤を繰り返している多くの学生たち、そしてその保護者の方々の相談に乗り、強力にバックアップをしていきたいと考えております。
教室の片隅で進む授業の内容が分からず辛い顔をしている生徒・・・
先生が出す膨大な英単語を書くだけの作業宿題で自分の勉強時間を失っている生徒・・・
「とにかくこれを丸暗記しなさい」と言われて意味も分からず嫌々暗記している生徒・・・
そんな生徒たちに「考えるということ」の意味の大きさ、「柔軟な思考」で世界は劇的に変わること、勉強は「決して苦行ではない」ということ、「分かることは本当に楽しく幸せを感じることである」ということ・・・そういった、長いこれからの学習人生で真に役に立つ重要な視点や考え方を伝えたいと思っています。
地域や社会の未来へ向けて
「人を育てる」という事は、古来から親や地域・社会がその役割を担ってきました。
公教育が登場したのは、実はごく最近のことに過ぎません。学校だけが人を教え育てることができるわけではありません。
私たちは地域社会の一員として、常にこの地域の未来、社会の未来を見据えた視点を持ち、活動を行っていきたいと考えています。
そしてこの価値理念に基づき「人を育てる」ということを、私たちがもっとも大切とすべきポリシーとして活動を行ってまいります。
私たちは、生徒一人一人にしっかりと向きあい、その限りない可能性と未来を常に念頭に置いて指導を行ってまいります。
進学塾Wizz青雲学院代表 田中正人
これからの時代を生きていくのに必要になる能力とは?
答えられますか?こんな問題。
YouTube入社試験で出題されたと言われる問題
魚のいない海で魚を釣り上げるための方法を考えてください。
Microsoft入社試験で出題されたと言われる問題
マンホールの蓋が四角ではなくて丸いのはなぜか。
「考えるということ」の大きな意味や「柔軟な思考」の大切さが問われる新しい時代は、もう始まっているのです。